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2023.10.04

「マナー」について #9

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

日本の食文化の中で、「啜る(すする)」という行為が最も問題となるのは「蕎麦」だろう。
いや、本来ならば、というか以前ならば、「はぁ?蕎麦なんてすすって食べるのが当たり前だろう」と言って終わりの話だったのだが、最近は事情がもっと複雑になってきているのだ。


以前、「蕎麦をすするのはいいが、(相手の)すすった時の音が嫌だ」という理由で婚約を破棄したタレントがいたが、今や「すすること」自体を「嫌われる理由」として挙げる人もいるようで、音を立ててすする人のことを「ススラー」などと呼ぶこともあるそうだ。
要するに「音を立てて食べること」が問題とされているわけである。


蕎麦に話を限定すると、昔の江戸っ子のように「ツルっ」と粋に蕎麦をすする人もいれば、多すぎる蕎麦をうつむき加減で「ズルズル」とだらしない感じにすする人もいる。
前者はカッコいいとさえ思えるが、後者はさすがに見苦しい。
つまり、「すすり方」の上手い、下手で評価は分かれるのだと思う。


「蕎麦は音を立ててすするべきではない」と主張する人の中には、「そもそも以前は日本人は蕎麦をすすっていなかったのにラジオのせいですするようになった」と言う人がいる。
その理屈はこうだ。


落語の古典に「時そば」という演目がある。
噺の最中に蕎麦をすする場面が度々登場する。
寄席で演じる分には問題ないが、ラジオが普及すると「音だけ」で表現しなければならなくなる。
そこでリスナーにも分かりやすいように「盛大に音を立ててすするように」演じるようになった。
そしてそれを聞いたリスナーたちが真似て、それ以来、日本人は音を立てて蕎麦をすするようになった、というのである。
しかし話としては面白いが、この説にはやっぱり無理がある。