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2023.08.02

「マナー」について #5

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

というわけで、この「ワサビ醤油問題」うやむやな状況設定のおかげで誤った知識が植え付けられてしまう例の典型だと思う。
第一、そもそも謎なのが、「寿司屋でワサビ醤油を使うのはマナー違反である」という設定で、なぜこれが「マナー違反」になるのかが説明されないのだ。
「こうした方が美味しいですよ」と職人さんは勧めはするが、「マナー違反」とは誰も言いはしない。
一般の人の意見などで「ワサビを溶いた醤油は汚らしく見える」というものが紹介されもするが、それは「ワサビ醤油」というものに対する「無知」というものだと思う。
無知といえば、昔こんなことがあった。


もうかなり前のことになるが、若手ディレクターたちと食事をする機会があって、みんなで「しゃぶしゃぶ」を食べに行った。
そんなに高級な店ではなかったので、仲居さんが調理してくれるわけでもなく、自分たちでやらなければならなかった。
鍋が煮立ってきたので一人が肉を皿ごと持ち上げて箸で全部入れようとしていた。
そこで思わず声を上げた。
「ちょっと待った!それだと肉に火が通り過ぎるだろう。肉は箸で軽く湯通しする程度がいいのであって、ほのかにピンク色になったころに食べるのが一番美味しいんだよ」と制止したことがあった。
この発言に若手ディレクターたちは大爆笑した。
「いやいや、そんな適当な話、信じるわけないじゃないですか」
「ピンク色なんかで食べたらお腹こわしますよ」と言うのだ。
若手と言っても20代後半の連中だったが、結局彼らの望むまま、ぐつぐつと煮立った鍋にすべての肉が投入されて、完全に変色して硬くなるまで待つことになった。
「美味い!」「これぞしゃぶしゃぶ!」とみんな大喜びだったが、彼らが今も同じ食べ方をしているのかは知らない。