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2023.12.20

「マナー」について #14

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

先日、中国人の同僚と話していて気づいたのだが、日本の食器事情は世界的にはなかなか特殊なものだと思う。
日本の家庭では大人子供を問わず、それぞれの専用の食器がある。
茶碗に箸、湯飲みなど、各人の好みや年齢にあわせてデザインや大きさなど多種多様なものが揃っている。
西洋ではフォーク、ナイフ、スプーンなど共通のものが使われるし、それは皿やカップなども同様だ。
茶碗や箸など食器の傾向が似ているアジアではどうなんだろう、と思って同僚に聞いてみたのだが、「子供の頃は、専用の小さめの食器がありましたけど、大人になってからはないですね」という返事だった。
もちろんこれは一部の例でしかないかもしれないが、アジアではともかく世界レベルでは日本の食器文化が特殊なのは間違いないだろう。


自分専用の食器がある。
ということはすなわち、「自分の食器以外は使わない」ということになる。
だから日本では食べ物は各人に小分けして提供されるわけで、他者の食器を「共有すること」は基本的にはない。
しかしこれが「家族間」となると話は別で、家族ならではの関係性から食器の共有というハードルはかなり低くなる。
これは人間の距離感の問題で、寝食を共にする家族ならではの「近さ」が食器の使い方にも表れているのだと思う。


結婚式で行われる「三三九度」という儀式は、「それまで他人だった2人が初めて一つの食器を共有する」という点で、「家族としての宣言」にも見えて興味深い。
この三三九度は日本古来からの作法である「式三献」が起源だが、侠客の間で行われる「固めの杯」も同じだ。
親から勘当され、当時の戸籍からも抹消されて「無宿者」となった侠客らが、身を寄り添って「親分」「子分」「兄弟」といった「義理の家族」という関係を求め、その起点を「食器の共有」という形に様式化しているのは極めて日本的で面白いと思う。