KIEN 働き方情報サイト

2023.11.01

「マナー」について #11

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

ところで「ススラー」にも色々と種類があるそうで、蕎麦に限らず、納豆やパスタ、味噌汁、果ては生姜焼きのタレに至るまで「すする人」がネットなどで糾弾されている。
しかしここまで来るともはやイチャモンの領域で、味噌汁などはそもそも汁物だから、すすって当然な部分もある。
納豆は醤油やタレ、生卵などで溶く場合もあるので、そうなるとこれは限りなく汁物に近くなる。
生姜焼きのタレに関しては、これは音を立てる云々の問題ではなく、それをすする行為自体が卑しく感じられるものだから、作法以前の問題と言えるだろう。
そうなるとやはり「ススラー問題」のポイントはむしろ「音」よりも「品位」の問題なのであり、これを「音を立てる」ということに単純化してイエス、ノーの答えを求めようとするところに無理があるのだと思う。
「ススラー」というキャッチーな単語もまた厄介の元で、分かりやすく面白いが故に世間に伝播しやすく、その結果、中途半端な知識と判断で人をジャッジすることが繰り返されていく。
話題としては面白いかもしれないが、あんまり悪ノリしすぎるといつのまにか誰かを傷つけることになりかねないので気をつけたいところだ。


ところで、パスタの場合、事は単純ではない。
「フォークを使えばいい」という絶対的な解があるのだが、そうなると「和風パスタ」という新型が我々の前に立ち塞がって惑わせることになる。
しかも店によってはフォークではなく最初から箸を出してくるのだから困ったものだ。
こうなると音を立てて麺類をすするという日本の食文化と、音を立てずに静かに食すという西洋の食文化が、作法の上で衝突することになる。
ソースや醤油といった調味料のように、上手く混ざりにくいところが厄介だ。