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2023.10.18

「マナー」について #10

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスは、欧米と日本の食文化の違いについて、「我々の間では口で大きな音を立てて食事をしたり、葡萄酒を一適も残さず飲み干したりすることは卑しい振る舞いとされている。
日本人たちの間ではそのどちらのことも礼儀正しいことだと思われている」と書き記している。
茶道の世界では様々な音を楽しむ文化があり、最後の一口を「音を立てて吸いきる」という「吸い切り」と呼ばれる作法がある。
これは茶を出してくれた亭主への感謝を表すなど、いろいろな意味を持っているのだという。
江戸時代になって麺類は紐状のものが普及したが、箸を使って食べる以上、「すすり上げる」という行為は必然だった。
フォークがあるわけではないので当然、音は出る。
蕎麦やうどんなどは音を立てざるを得ないが、お椀やお茶などは音を立てずとも飲めるものだ。
だから問題なのは「音の出る状況」と「音の質」なのではないか。
前述したように「ズルズル」といった音は日本人でさえも下品に感じるのだから。


ちょっと逆側から考えてみよう。
「音を立てずにすする」にはどうすればいいのか、だ。
欧米では「スプーン」が使われ、アジア、特に中国では「散蓮華(一般的にはレンゲと呼ばれる)」が食用の器具として使われてきた。
ところが日本にはこの「すするための食器」が存在していなかったのだ。
もちろん昔から「匙」という道具はあった。
だがこれは薬などを「量るための道具」であり、食用のものではなかったのだ。
だから日本人はお椀などの料理は「すすって」食べるしかなく、長年そうしてきたのだ。


結局、食器としての「スプーン」が日本に流入してきたのは黒船が来航した幕末になってからであり、その後、中国料理が本格的に横浜に上陸していったのと同時に、レンゲもまたやってきた。
まあ、ラーメン屋さんにはレンゲが標準装備だが、蕎麦屋さんではレンゲもスプーンも出ないことを考えれば分かる話ではある。