幸福の相対評価 #7
河原一久
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。
例えば先日こんなことがあった。
友人らとツーリングで伊豆を訪れた時のことだ。
昼時なのでどこか適当な店を見つけて昼食にしようということになった。
早朝から走り始めて何度か休憩はしたものの、ちゃんとした食事はしていない。
そろそろ疲れてもきた。
この先、走り続けたとしてもあと2~3時間程度がいいところだろう。
ガソリンは朝、満タンにしてあるが、今度は自分たちの番というわけだ。
で、街道沿いにレストランというか定食屋さんがあったので入ってみた。
この日は風が強くて船が出ていないので大した魚はないけど、その分サービスしますよ、ということでお勧めの日替わり定食を注文した。
刺身に天ぷら、その他おかずが数品にシジミの味噌汁というなかなか豪華なものだった。
これを美味しく頂いたんだけど、やっぱりその美味しさの最大の理由はこの時の「非日常的状況」のおかげだと、実は食べている最中から気づいていた。
あえて醒めた言い方をするなら、刺身はごく普通のものだったし、天ぷらは家庭料理のレベルで、天つゆもそんなに出来のいいものではなかった。
でもそんなことはどうでもいいんだよね。
お店の人の応対や「サービスしますよ!」と笑顔で厨房へ入っていった料理人の気持ちの方こそが正に「ご馳走」なのであって、せっかくの旅先で一期一会で出会った店を、どこぞの評論家気取りで採点するなんて野暮の極みでしかないと思う。
そして理屈では「普通のレベル」と思った料理も、体感では「美味しい料理」と感じているのが不思議でもあり、面白かった。
あくまでも個人的な例でしかないのかもしれないが、これは自動車で旅した時には感じなかった感覚だし、そうなるとやはりこれは「バイクの旅」がもたらした新感覚なのかもしれない、と思った次第。