幸福の相対評価 #3
河原一久
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。
運動をすれば人はエネルギーを消費する。
運動量が多ければその分、エネルギー消費量は増える。
そこで人間の体はエネルギーの補充を求め、食事によってそれは充たされることになる。
疲労の度合いによって塩分や糖分の補給も必要になるし、なにより水分の補給が最も頻繁に要求されるものだ。
そんなわけで、当たり前の話だが人は疲労をすると腹が減る。
そして車よりもバイクの方が疲労の度合いは強くなる。
結果としてバイクでの移動後の方が食への欲求はより上乗せされるので、その分、供給された時の満足感も上乗せされることになる。
というのがツーリングをしてみて感じた「小さな発見」だった。
冷静に評価するならば、こうして味わった数々のメニューも、実際には「標準的な味」であることが多いと思う。
では疲労によって満足感が上乗せされているから、その料理の評価は下方修正して考えるべきなのかというと、そうは思わない。
実のところこうした無意識な印象の変化はいつだって起きているものなのだ。
テレビや雑誌で評判の店や、著名人や信頼できる人が絶賛していた店、といった情報によるもの、気のおけない仲間との楽しいディナーや想いを寄せる相手との甘い晩餐といった心理的な要因など、我々は常に日常の中の「小さな非日常」によって「小さな感動」を味わっている。
激しいスポーツをした後などは、何の変哲もないただの水でさえ「最高のご馳走」に感じられるのだ。
バイクは非日常な使い方もできるが、それ以上にとにかく「それなりに疲れる」ものだ。
だからバイクで出かけた時の食事はどんなものでも「それなりに美味しく」感じられるし、「美味しいと評判の料理」の場合、「すごく美味しい」と評価もプラスアルファしたものになりやすくなる。
こうしたことは「些細な事実」だが、意図的に利用することによって自分の食生活が豊かになるし、これを実践した著名人による興味深い例があるのである。