幸福の相対評価 #12
河原一久
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。
やがて出版や通信といった技術が発展すると、人々の恋愛事情にも大きな影響がもたらされた。
新聞などでは著名人の結婚の話題が取り沙汰され、その成り行きから交友関係の華麗さなども含めて、微に入り細を穿った情報が紙面を賑わせた。
そうした話題は大抵の場合、大衆からは憧れをもって半ばフィクションのように扱われていたが、やがて雑誌などのメディアが細分化してくると、恋愛の話題は無敵の人気コンテンツとなった。
恋愛小説はあらゆる女性にとって必読のジャンルとなったし、恋愛相手に求める様々な要素は議論の対象となった。
それはやはり人柄、家柄、ルックスなどが主体となるものだったが、さらには身長や体格、髪の毛の量や胸毛の有無(昔は胸毛の多い男が男らしいとされて好まれた)、特異なスポーツや文芸における知見、政治的スタンス、そして職業、学歴、所有する資産や後に相続するであろう財産などなど、あらゆることが「相手を選ぶ際に考慮すべき物差し」としてメディアが取り上げ続けた。
1980年代末、日本では結婚相手の条件として「三高」という言葉がもてはやされた。
「高学歴・高収入・高身長」という内容だ。
これらの物差しは女性から男性に対するものだが、当然、その逆もある。
男が結婚相手となる女性に求める条件、というやつだ。
こちらはかなりえげつないもので、まず「ちゃんと子供が産めるか」とか、家事全般のスキルや、やはり家柄、人柄なども問題にされた。
近代になるとルックスも含めたかなりハラスメント的な条件が話題に上った。
これらの「人をはかる物差し」は女性の場合と違って、あまりメディアで言及されることはなく、もっぱら口頭での議論で共有されていたことが多いと思う。
その分、悪質な内容も多いのだが、それはまた別の話。