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2022.11.18

文化への関心と尊重 #12

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

ここで大分の寿司について考えてみようと思う。
正確には大分と言うより「九州の寿司」と言った方がいいかもしれない。
九州では昔から海産資源が豊富で、新鮮な魚などを食卓で食べることが普通に可能だった。
だから握り寿司の世界でも他の地域のように「食べ頃」のタイミングで握るよりも、とにかく新鮮なネタを握ることこそが美味しさだと信じられてきた。
また、ご飯も美味しい米を産出してきたので、これも寿司の場合、酢飯よりも普通のご飯(というか、ほとんど酢を使わない酢飯)で握ることが一般的だった歴史がある。
ところで魚の場合、大きければ大きいほど人が食べるのにちょうどいい「食べ頃」には日数が必要となり、獲ったばかりの魚は鮮度が良すぎて旨味が十分に出ないとされている。
九州の場合、その足りない旨味は醤油が補ってきていた。
九州の醤油は甘みが加わった土地独特の濃厚な醤油で、これはこれで美味だし、新鮮な刺身にゆず胡椒をつけてこの醤油で食べると「ああ、九州に来たんだ!」と実感できたものだ。


で、九州の握り寿司だが、こうした九州独自の旨味で構成されて発展してきた「九州前寿司」が主流で、江戸前の技法、江戸前の醤油、江戸前の酢飯で構成された「江戸前寿司」が傍流として存在してきた。
これまでは九州独特の味が楽しめる「九州前寿司」は訪問時に味わうレベルでは楽しめるものだったのだが、「江戸前寿司」のブームが全世界レベルになった今ではローカル色を強く感じてしまうようになってしまった。


ここで問題なのは、地元の人にとっては「九州前寿司」は昔から日常的に食べてきた美味しい食べ物で、むしろ「江戸前寿司」の方が「よその食文化」だったことになる。
そしてそれこそがこれまた「超えられない壁」だったのである。