縁とは #2
河原一久
1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。
ネット環境が日常化した現在、各種SNSでは「フォロワー」や「友達」という名の「縁」をかなり簡単に増やすことができる。
そこから派生した「交流会」や「セミナー」という機会によってさらにその数を増やすことも可能だし、そもそもその「数を増やす」ということを目的とした集まりもある。
こうした状況に対しては、古い世代の大人たちに限らず、「そういうのって大丈夫なのかい」と心配する声が上がると思う。当然だろう。
人生観や価値観は十人十色のものだし、人はそれぞれ自分の生き、方に前向きに取り組んでいるものだ。
しかしそれが他の人にとっても同じ方向だとは限らない。
中には初めから悪意を持って近づいてくる輩もいるかもしれないが、善意しかない人でも相手の立場によっては、それが害となる場合だってある。
マルチ商法の勧誘をする人たちなどは典型例で、本気で「縁」によって相手を幸せにしたいと考えているから厄介だ。
とはいえ、現代社会では人は一人では生きてはいけない。
だから日常的に人には「縁」がめぐってくるし、それによって転機が訪れることもある。
だからといって宝くじを買い集めるように、人との出会いばかりを収集しまくるのにも違和感がある。
単なる「知り合い」でしかない「友達」が増えたところで、互いに利害関係が成立しない限り、「誰かが何かをしてくれる」などということもない。
結局のところ、「縁」とはやはり「きっかけ」でしかないのだ。
その人に再び会った時、それは2度目の「縁」となり、やがて回数が重なるにつれて「縁」は積み上がっていく。
その積み上がった「縁」の濃度によっては、そこから真の友情や人間関係が生まれていくかもしれない。
いずれにせよ、「縁」だけではまだ何も生まれないはずなのだ。