世界と日本の差別の歴史 #4
河原一久
1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。
「非人」という分類の中には芸能関係者が含まれていて、長年の間、差別されてきたし実際には現在もその差別はある。
映画監督の篠田正浩さんは日本の古典芸能の歴史の研究者としても著名な方だが、その篠田さんの著書「河原者ノススメ」には驚きのエピソードが明らかにされている。
縁あって桂離宮の見学ができることになった際、篠田さんは妻で俳優の岩下志麻さんとその伯母で同じく俳優の河原崎しず江さんの3人で訪れた。
河原崎さんの夫は前進座の創立メンバーの一人でもある四代目の河原崎長十郎で、劇聖と言われた九代目市川團十郎の甥だ。
まさに由緒ある芸能一家の面々だが、桂離宮の受付で入場を拒絶されてしまった。
受付では氏名と職業を書くことになっていたが、岩下さんと河原崎さんは「俳優」と書いた。
そして河原崎さんはその名字からも歌舞伎関係に縁があることは明白だった。
そのため受付では「河原もんはいかん」という判断で入場拒絶ということになったのだそうだ。
日本の権力者たちはいろいろな形で著名な芸能人たちをこれまでも利用してきた。
戦国時代、出雲国にルーツを持ち、「かぶき踊り」で一世を風靡した「出雲阿国」は京都で大評判となり、その名を轟かせた。
彼女を初めとする当時の芸能人は鴨川沿いの河原で芸を披露していたことから「河原者」と呼ばれるようになったが、それは同時に身分制度の枠外に置かれた「非人」、つまり「人間以下の者」という明確な差別もされていたのである。
阿国らは当時の芸能好きの武将たち、例えば加藤清正や家康の二男の結城秀康などの寵愛を受けた。
河原での興行が終わると彼らは武将たちの屋敷に招かれて芸を披露し、食事も振る舞われたが、夜はその武将と床を共にすることもあったという。