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2023.01.06

世界と日本の差別の歴史 #3

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

小学生の頃、社会科の授業で日本の歴史を学んだ際、江戸時代には「士農工商」という身分制度があったことを誰もが学んだ経験があると思う。
この言葉自体には「農民は人々の生活にはなくてはならない存在だから武士の次に偉くて、金儲けをしている商人は卑しい存在だから一番下なのだ」という、幕府側の手前勝手な言い分が添えられて解説されたりもしていたけど、本当は農民が最下層に位置づけられていたってことはなんとなく子供でも理解できていたもんだった。
こうした身分制度が明確にあったために、例えば「侍が町人の娘と恋に落ちたが、身分が違うので結婚できなくて駆け落ちした」なんていうドラマが時代劇では典型例として描かれたりもしていた。


実際にはもし先に挙げたような例があったとしても、「問題の娘をまずは武家屋敷で奉公させる」という手順を踏んで、「後にその家か、そこに縁のある家の養女にして武家階級の一員にしてしまう」という裏技を使って、「最終的には結婚させる」ということもよくあったそうだ。
もちろん、そこに至るまでは関係者らによる「絶対に許さん」という一般的な障害が立ちはだかっていたそうなんだけど、完全に不可能だったというわけではなかったらしい。


また、侍も裕福だったのは出世した者や、元々位の高い家柄の者に限った話だったようで、多くは金貸しといった商人に金を借りたりしていたらしい。
だから吉原などの遊郭でお大尽として遊べたのも、商人の家の不良息子だったり、遊び好きの主人とかが多かったそうだ。


話が少し逸れてしまったが、この「士農工商」には例えば公家のような貴族や、住職などの宗教関係者は含まれておらず、別格として存在していた。
そして差別的な意味で「非人」という分類も普通にあった。