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2022.11.11

文化への関心と尊重 #11

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

しかし独自のメニューであっても全国的に普及できないものもある。
秋田の「きりたんぽ」や山梨の「ほうとう」などがこれにあたり、こうした「地元で愛されるもの」は「ご当地グルメ」として知られるようになる。
多くの場合、これは様々な理由から「地元でしか食べられないもの」となる。だから食べたければ「現地へ赴く」しかない。
それはつまり「観光客の誘致」となるから結果的に「街おこしに貢献する」ことになる。
多くの自治体が「ご当地グルメ」の売り込みに熱心なのは、こうした効果を望んでのことなんだと思う。


しかしこの「現地へ赴く」という行動を観光客に取らせるには相当なエネルギーが必要で、多くのご当地グルメにはそのエネルギーが足りていないと感じるのが正直なところだ。
例えば大分で言えば「とり天」というものがある。
大分県人なら誰もが知り、誰もが愛する名物料理だ。
しかし他県の人間からしてみれば、とり天は確かに美味しいんだけれども、そのために「現地へ赴く」ほどの力はないのだ。
同じことは北海道の「ざんぎ」にも言える。
北海道人が愛して止まない「ざんぎ」は、しかし他県の者からすれば「鶏のから揚げとどう違うの?」という反応になる。
「いや、違うんですよ、それが!」とこれまでに聞いた北海道の人はほぼ例外なく熱弁してきたのだが、まあ、細かい違いはあまり重要ではなく、要するにこれらのメニューは例えば「鳥の竜田揚げ」と同様に、一般的な「鶏のから揚げ」で代用できてしまうのだ。
僕はとり天もざんぎも竜田揚げも、それぞれが大好きなんだけれど、何らかの機会があれば食べるものの、そのために地元に旅行しようとまでは考えない。
そこがやっぱりひとつの超えられない壁なんだと思う。