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2023.04.05

縁とは #1

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

「縁」という言葉の意味を調べてみると、「間接的な原因」という表現や、「めぐり合わせ」から関連して「運命」の中に分類するものもある。
「君とは運命的な出会いだ」と言うと何やら深刻で重くなってしまうが、「これも何かの縁ですなぁ」などと、酒でも飲み交わしながら言われると一気に気安い表現になる。
「縁」と「運命」という言葉の間にはこのように一定の距離感の違いがあるものの、それでも似ている言葉なんだと思う。


似ているが故にこの言葉は悪用されることもある。
軽い意味での「縁」だったものを、どこかのタイミングで「いや、これは運命なのですよ」などと言われてしまうと、「そうなのかも・・・」と思ってしまう。
口説き上手な人などは、この辺の言葉の使い分けが巧みなんだと思う。


そういえば昔、失恋した時に友人から「あの子とは縁がなかったのさ。諦めるんだね」という、慰めているようで最後のとどめを刺すようなことを言われた時には「縁なんて言葉、大嫌いだ」と思ったりもした。
しかし、だ。
「縁」という言葉は多くの人にとってやはり温かく、優しく、どこか希望をも含んだ前向きなものだ。
人はそれを大事にし、価値あるものと信じ、そこから何かが「育っていく」ことを期待する。


もし「縁」が「種」のようなものならば、その数が多ければ多いほど、人が持つ「希望」もまた多くなるはずだ。そこに「縁」という言葉の持つ「光」があり、同時に「闇」もある。目の前の「縁」が「悪縁」なのか、それとも「良縁」なのかは大きな違いだが、なかなかそれを見極めることは難しいだろう。
それでも人は「縁」を求め続けるし、また生きていく上では必要不可欠なものだ。
このややこしい「縁」というものについて、少し考えてみたいと思う。