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2022.01.14

幸福の相対評価 #5

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

つまり「渇望」とそれを充たすことによって得られる「感動と満足感」は人為的に作り出すことができるのである。
で、実は美食やグルメというものの正体の半分くらいはこの「渇望に対する充足」にあるのと思うのだ。


例えばフランスの画家ロートレックは美食家としても知られていて、自ら「モモ」という名の美食クラブも結成して友人たちを様々な美食を楽しんでいたんだけれど、面白いのはこのクラブにはいくつかのルールというか掟のようなものがあって、これが見事に「食というものの本質」を喝破していると思うのだ。


それは会則の第1条にある。曰く、
「食事を取る前には可能な限り腹が減った状態にしていること。また可能ならばギリギリまで喉が渇いた状態にしておくこと」
というものだ。
産地がどうだ、育ちがどうだ、希少価値がどうだ、といった俗物的な価値ではなく、人間という生き物の生理を理解し尽くした慧眼がここにあると個人的には思っている。


ロートレックは貴族の生まれだったが10代の頃に落馬などで怪我を負って下肢の成長が止まるという不遇な境遇にあった。
その結果、家督も継げず婚約話もなくなり、若くして障害者として差別を受け続けた。
やがてパリに出て画家として暮らすが、彼の作品には娼婦や踊り子(当時は娼婦同然の扱いだった)といった人々を描いたものが多いのは、彼自身が社会からはみ出された存在だったからであり、それゆえ物事の表面的な評判や由来などではない視点から世の中を見ることができていたのだと思う。
そして人間が享受する快感の本質を知り尽くしていたからこそ、きわめて論理的にそれを実践して味わうことができたのだと思うのだ。