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2022.02.25

幸福の相対評価 #11

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

実際の所、彼女の恋愛事情はよくは知らないので、そういった面で役に立ったかどうかは分からないが、少なくとも彼女の人間性に問題があるわけではない、と付け加えてから席を立った。
そして改めて、というか、普段あまり考えずにいた「恋愛」というものに関してちょっと考えてみることにした。


現在、いや昔から人々の恋愛事情とは「社会的な幸福の平均値にどのように到達し、あわよくば超えてみせる」ということに価値観が置かれているものだと思っている。
以前なら向こう三軒両隣の領域内。
これが町内や親戚一同、友人らといった知人たちの共有する価値観が重要で、人柄や家柄、ルックスや交友関係などが判断材料とされていた。
一方で、日常生活で見かけた人に惚れてしまう、なんていうケースもあり、でもその人が一体何者かだなんて知る術もなく、それでも思いが募って歯止めがきかない場合には手紙を書いて次に見かけた時にバッと飛び出してそれを手渡して逃げ去る、という「付け文」がよく行われていたそうだ。


欧米では「ラブレター」で想いを伝えたいけど文章が上手く書けないので、その辺が達者な人に代筆してもらう、なんてこともあった。
19世紀末の戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」はこうした代筆にまつわる物語としてよく知られているが、モデルとなった実在のシラノ氏は剣豪であり、「月世界旅行記」などの著作もある作家だったが、ロクサーヌとの悲恋などはフィクションだった。


欧米には花束を贈るという習慣があるが、これも「花言葉」を駆使して贈る相手に様々な思いを恋文のように伝えることができる洒落た手段だった。
贈られた相手も花言葉を使って、相手の気持ちを受け入れるか否かを遠回しに伝えることができた。
実に知的で素敵な習慣だと思う。