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2022.11.25

文化への関心と尊重 #13

河原一久

1965年神奈川県生まれ。
著書に『読む寿司』(文芸春秋)、『スター・ウォーズ論』(NHK出版)、『スター・ウォーズ・レジェンド』(扶桑社)など。
監訳に『ザ・ゴッドファーザー』(ソニーマガジンズ)。
財団法人通信文化協会『通信文化』に食に関するエッセイ「千夜一夜食べ物語」を連載中。
日本ペンクラブ 会員。

当然のことながら土地ごとの美味しいものは、その土地で生活し、日常的に知っている人の方馴染みがあるし造詣も深い。
だからご当地グルメを開発するにあたっては、その土地で感じる「美味しさ」をさらに深く追求することになる。
もちろん、実際に研究開発にあたるのはその道のプロ、すなわち料理人たちだから、単に美味しいメニューを開発するのではなく、世間へのアピールポイントや目新しさ、といったものも考慮して開発する。
そして地元の人にとっては引き続き「日常的に食べられる美味しさ」を、旅行者などの訪問客にとっては「未知の食体験と美味しさ」で満足できるものを目指すことになる。


ところが同じメニューであっても、食べる人の一方が「日常的」であって、他方が「未知の食体験」になってしまうと、大抵の場合その味を「日常的」と感じない側、つまり観光客の方が「飽きてしまう」ということになりがちだ。
その理由は単にそのメニューに対する「習慣性」がないからで、「ああ、あそこには何度か行ったことがあるけど、あのご当地グルメはもういいよ」という感覚は、その土地の人間ではないからのものになる。
仮にその人が当該の土地に引っ越してきて、ご当地グルメを日常的に食べることになれば、そこにはある種の強制力とともに「慣れ」が生まれ、それはやがて「クセになるね」という感想とともに「習慣化」していくはずだ。
そして「やっぱりこれ、美味しいね」と意見が変わることになる。
だから「ご当地グルメ」だけでなく、地方色が色濃い食文化には、常にこうした「メニューそのものの味の良さ」とは別のファクターによって評価が揺れ、対外的な訴求力の強度にも影響が出る、という現象が生まれることになるのである。